お知らせ
2026.03.06 ブログ 「株式会社早和なでしこ」の節目を迎えました
2026年2月20日付で、株式会社早和果樹園の創業当時から会社を作り上げてきてくださった、子会社「株式会社早和なでしこ」の役員の皆さんが退任されました。
そして2月28日をもって、「株式会社早和なでしこ」は幕を閉じました。
「株式会社早和なでしこ」役員の皆さんは「なでしこさん」の愛称で親しまれ、長年にわたり活躍されてきました。

早和果樹園の歩みとともに一緒に歩み続けてくださった、早和果樹園にはなくてはならない存在の皆さん。
「株式会社早和なでしこ」は、どのような想いから生まれ、どのような時間を積み重ねてきたのか。そして、退任された今、なでしこさん達は何を思っているのか。
今回、株式会社早和なでしこを設立した秋竹会長やなでしこさん達へのインタビューを通して、株式会社早和なでしこの誕生やこれまでの歩みについてを振り返ります。
「株式会社早和なでしこ」誕生物語
時は遡り、1979年。株式会社早和果樹園の前身である「早和共撰組合」が創業されました。7戸の農家が集まってできた共撰ですが、この7戸の農家の奥様方こそが後の株式会社早和なでしこのメンバーになります。
早和共撰時代 ちょうどこのとき、みかんの価格が前例のない大暴落に陥っていました。どれだけ収穫してもほとんど収入に繋がらないので、当時は本当に苦労したそうです。
みかん産業が絶不調に陥る中、それでも粘り強く乗り越えてこられたのは、このなでしこさん達のの強靭なチーム力とサポートがあったからこそ、と会長は振り返ります。
それもそのはず、メンバーの皆さんは
「男性陣が落ち込む中でも、私たち女性陣まで一緒に落ち込まず、ただまっすぐ前向きに生きていこう!」
という強い結束と気概を胸に、仕事に励んでいたそうです。有限会社早和果樹園の設立 2000年には「有限会社早和果樹園」を設立し、加工業へ進出。ゼロからのスタートでしたが、ここでも大きな力となったのがなでしこさん達の存在でした。
当時、みかん生産で得た収入は「家」に入るのが当たり前とされていました。しかし、加工業やその他の業務で得た収入は個人に渡される仕組みとなり、頑張った分がそのまま自分に返ってくるようになりました。その実感が新たなやりがいとなり、挑戦を後押しする原動力のひとつになったと、なでしこさん達は振り返ります。その後、株式会社早和果樹園に組織変更後、徐々に若手従業員が働き始めるようになりました。
会社としても若手社員の採用・育成に力を入れる一方で、組織の礎を築いてきたなでしこさん達にも、これからも活躍してほしい。
そんな会長の想いから、2015年に早和果樹園とは別枠として、高齢者雇用の子会社「株式会社早和なでしこ」設立し、メンバー全員が取締役に就任しました。株式会社早和なでしこの設立 現在、早和果樹園会社スタッフは「なでしこさん」と呼ばせてもらっていますが、この”なでしこ”のワードは当時日本で話題になったサッカー日本代表チーム「なでしこジャパン」から由来しているそう。
当時から皆さんは「最強の女性集団」として一目置かれていたこともあり、会長によると、株式会社早和なでしこの設立前から「なでしこさん」と呼ばれていたんだとか。株式会社早和なでしこのお仕事
- 共撰時代~株式会社早和なでしこ設立まで
みかん生産だけでなく、加工業や発送業、そして催事出店や試飲販売などなど、幅広く担当していました。試飲販売では、とれとれ市場やおかげ横丁など、有田を飛び出して販売していました。
お盆の時期には催事にも出店! 『試飲していただいて、商品を買ってくれる。その経験がやる気に繋がった』となでしこさん達は当時を振り返って話してくれました。この経験こそが今の早和果樹園の販売の原点にもなっています。
早和果樹園では現在も研修の一環としてとれとれ市場を始めとする各地で試飲販売を行い続けています。
とれとれ市場内の早和果樹園南紀白浜店での試飲販売の様子 2025年5月には大阪・関西万博にも出店し、試飲販売を行いました🍊
その後、株式会社早和なでしこ設立を機に、早和果樹園の従業員数が安定してきたこともあり、業務を移行していくことに。新たな業務として、皆さんおなじみ社員食堂「なでしこ食堂」の運営に携わることになりました。
- なでしこ食堂について
当時の若手社員の昼ご飯はコンビニご飯やインスタント食品が中心。そんな若者に、普段食べない野菜を食べるきっかけを作りたい、3回の食事のうち1回でも幸せな食事時間を作りたい、会長のそんな想いから誕生したのが「なでしこ食堂」でした。
なでしこ食堂の入口看板🍚入る前からいい匂いが漂います😋 誕生当時のなでしこ食堂🍚 なでしこさん達は、元々農家の妻ということもあり、野菜作りまでも行い、自分たちで作った野菜を調理し、出来立ての食事を社食として提供していました。
当初は毎日のメニューを考えるためにレシピ本を読み漁ったり、用意する量も多すぎてしまったりと、試行錯誤の連続だったそう。なでしこ食堂のある日のメニュー。これで1食300円なんです😯 その取り組みはテレビや雑誌でも紹介されるほどに。
NHK放送「サラメシ」ではこれまでに2回も紹介いただきました👇️👇️今もなお、食堂の空間は社内スタッフにとっての憩いの場。毎日お昼はたくさんの人で賑わっています。
現在のなでしこ食堂。お昼時はたくさんの会社スタッフで賑わいます😁 株式会社早和なでしこの組織がもたらしたもの
共撰時代の初期から、粘り強さと強いチームワークを発揮してきたなでしこさん達。
加工業を新たに始めた際に立ちはだかった困難な壁も、その結束力と行動力で乗り越えてきました。
早和果樹園にとって、まさに縁の下の力持ちの存在。
会社の挑戦に対して常に惜しみない協力を注ぎ、その姿勢は組織全体を引き上げる大きな力となりました。
さらに、皆さんの持つ計り知れない母性愛は、社員一人ひとりの心の支えにもなっていました。
積極性、粘り強さ、惜しまない協力体制。これらの積み重ねが、早和果樹園の土台を強くし、組織の前進へとつながっていったのです。

「なでしこのおばちゃんらがいたからこそ、加工業へ進出することができた」と会長は語ります。
なでしこさん達は、早和果樹園にとってなくてはならない存在なんですね。
退任という節目に思うこと
長い年月をともに歩んできた皆さんに今の気持ちを尋ねると、口をそろえてこう答えてくださいました。
「楽しかった」
苦労も多かったはず。それでも楽しかったと言えるのは、家族以上に長い時間を共にし、互いを信頼し合ってきたからだと思いました。
「互いの考えていることが分かる」「遠慮せず何でも話せる」「みんながいたからここまでできた」
その言葉一つひとつに、深い絆が感じられました。
そして
「若い人らと一緒に働けて元気をもらえた」
と語ってくださった姿に、心の広さと温かさを感じます。

未来に向けて
株式会社早和果樹園の黎明期から、ずっとまっすぐに組織に寄り添い続けてきたなでしこさん達。
たくさんの想いと努力によって築かれ、発展してきた株式会社早和果樹園。
「これまでの歩みをこれからの未来へとつないでいくために、地域を盛り上げていくということを1つの目標に掲げ、今までの事業と新たな事業を組み合わせながら、さらなる飛躍を目指したい。」
と会長は話します。

なでしこさん達は、会社としては幕を閉じましたが、これからは働き方を変えながら、なでしこ食堂やみかん作業に関わり続けてくださるとのこと。
早和果樹園はこれからも、会社として、そして組織として、これまで育まれてきたルーツを大切にしながら、前へ進み続けていきます。
今回お話を聞かせていただいた、秋竹会長、博子さん、恵美子さん、冨恵さん、由起子さん、貴重なお話をありがとうございました!

改めて、株式会社早和なでしこの皆さん。
これまで長い間、本当にお疲れ様でした。そして本当にありがとうございました☺️
またいつでも会社に遊びに来てくださいね🍊

記事は泉綾香が担当しました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました☺️
なでしこさんのフォト集📷️✨️






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